オフィスN開業秘話  主の人間性  霊感商法騙しのテクニック


オフィスN開業に至る経緯から現在
帝京医技専に入学、1986年に柔道整復師(世間で接骨師や接骨医と呼ばれる国家資格)の免許を取得した私は、当然の如く、接骨院に勤め始めます。しかし、表の華やかさとは裏腹に、中身は最○の業界でした。

捻挫や骨折の処置も出来ない院長もいるほど、総ては金儲け優先で、治療は蚊帳の外。患者に対しては、「通わないと治らないから、毎日通って下さい」と、自信満々の決まり文句。やることは、電気を当てて、パパッとマッサージをして、塗り薬を塗って終わり。年寄りは、憩いの場として通院しているし、勤めの方は、仕事後の疲労回復に通院しているのが、殆どでした。

そんな業務に疑問を持つと、院長と口論をして、クビになる私でした。もっと勉強になる院を求め、複数の院に勤めても、全く変らずの内容で、2年もしないうちに…。

ただ、そんな中、不思議な2つの結果を感じていました。一つは、長く通っている人ほど、「今日はここが痛い」と、次から次へと痛みを訴え、治療?を終えると、「楽になりました」とお帰りになり、翌日もまた、同じことを繰り返すように。もう一つは、いわゆるギックリ腰や寝違えのような激痛を伴う症状でお越しの方が、治るとも思えない事務的な処置で、すぐ良くなってしまうこと。その疑問が、仙骨動可法の原点になりました。

著名な先生方の本を読み漁り、セミナーにも参加。しかし、鼻高々の先生方は、「技術で治る」説明ばかりで、私の疑問は解決しませんでした。ならば、自分で解決しようと、夜な夜な骨格模型を眺める日々。そして、仙骨動可法のヒントを掴みました。

それから、5年の月日が流れ、半分程出来上がった動可法を、あるギックリ腰の患者さんに、試してみました。悪い言い方をすれば、人体実験だった訳です。施術前は、腰をくの字に曲げ、物に掴まりながら移動する状態。当然、痛みのために、腰の前後屈は出来ない典型的な急性腰痛症状でした。

動可法の基本形を行うこと5分弱。「今度は、仰向けになって下さい」と、次の指示を出すと、患者さんが、普通に起きて「えっ!?、痛くない!!」と驚かれました。この一件で、総ての疑問が解決されたのでした。それが、“なるべく通わない”の原点です。そして、動可法も完成形に近くなり、独立をすることにしました。

しかし、経営に関してはド素人。当時は、看板のない店・山奥にあるラーメン店等が、メディアを賑わせていた時代。不動産屋に奨められるがままに、テナントを借り、“場所なんか関係ない。治れば、口コミで広がる”ただそれだけの勝算?で始めました。でも、日本の医療は“通わせてなんぼ”の経営です。それなのに、すぐに施術の結果を出し、通わせないのですから、初期投資を回収するまで、経済的に持たずに廃業。仕方なく、交通の便の悪い実家の一室で再開するも、当時は、ネットも無い時代ですから、場所を説明するのに四苦八苦。そんな中、結婚すれば運が開けるかと思い、付き合っていた巳年の元妻と結婚したのですが、逆にボロボロになって離婚。

リベンジで、自分で探して、心機一転開業するも、患者目線の立地でなかったため、また廃業。結局、また勤め人に戻るのですが、年齢的に30代後半になり、分院長としての勤務となり、信憑性に欠ける理論武装で“通え通え”と言う立場で、2つの院を渡り歩きました。特に、最後の勤め先は最悪の処で、免許のない単なるド素人が白衣を着て、患者に治療行為?をしていました。初日から、辞めたくなりましたが、夜な夜な酒を煽りながら、必死に耐え、いつの間にか、酒豪の仲間入りを果たした私です。当然、精神状態も悪くなり、それが、経営者に伝わりクビに…。

2004年、どう逆立ちしても、勤めることは無理と判断し、再び独立を決意。しかし、テナントを借りても、経営できないのは経験済みだったため、集合住宅の一室で、仙骨動可法研究所 オフィスNを開業しました。その際、敷金礼金や運転資金の融資を、2行に申し込みをしましたが、バブル後の銀行は厳しく、総てボツでした。仕方なくカードで借金。それが、人生2度目の雪だるまに繋がるのですが…。

開業にあたり、最後の勤務先の患者さんから聞いた、「うちの嫁が、神奈川で鍼灸院をやっていて、ネットだけで患者さんが、大勢来ているみたいですよ」の話を参考に、宣伝媒体は、過去の勤務先の患者さんへのハガキと、ホームページだけに絞りました。

しかし、現実は、そんなに甘くありませんでした。ホームページを公開すれば、すぐに検索でヒットし、予約が入ると思っていたのですが、2ヶ月経過しても、検索でヒットしません。最後の勤務先の患者さんが、何人かご来室になりましたが、月の収入は、1万円少々。4ヶ月経過しても、状況は変らず、暇に任せて、ホームページの充実と、検索でヒットさせる極意を調べる毎日でした。運転資金等ある訳なく、カード5枚をぐるぐる回して借りまくり、7ヶ月目でキャッシング不能に。食事も出来ない状況になり、ネットで調べた中小企業向けの金融会社に連絡すると、借りたら終わりのアブナイ会社でして、電話口の声で、一気に冷や汗と震えが…。勿論、捨て台詞を吐かれましたが、断りました。

金策に行き詰まり、部屋にある食料は、醤油500ccだけ。そして、手持ちのお金は135円。恥ずかしかったですが、スーパーの特売で、1kg104円の小麦粉を1袋買い、醤油汁だけのすいとんにして食べること1週間。すると、ネット検索での予約が入り出しました。拾う神降臨だったのでしょうか? そこからは、右肩上がりの状態に。ただ、入れば支払いの状態だったので、お釣りの余裕等無く、時に、ご来室の方と、駅前のコンビニまで行って、お釣りを作ることもありました。ご迷惑をお掛けしてしまった方、申し訳ございません。

雪だるま式に膨れ上がったカード負債も、4年で繰り上げ返済し、これからは貯金も…と思っていると、今度は、我が身に異変が…。歯は、ボロボロになり、「とにかく、物が見づらい…」と思っていたら、左目が見えなくなっていました。慌てて、近所の眼科に行くと、「紹介状を書くので、公立病院に行ってくれ」とのこと。そして、公立病院で精密検査を受け1週間後…。病名は、中心性漿液性脈絡網膜症。原因は、加齢・過労・ストレスで、治療法はありません。と…。一難去って、また一難。我ながら、波乱の人生を嘆きました。

そこで、予約を絞り、週休二日、節酒をすることで、身体の回復を図り始め、とりあえず、視力は戻りましたが、右肩上がりの業績が、下がってしまったのは言うまでもありません。しかし、それがきっかけで、“支払いができる最低限の収入と、山に行くガソリン代さえあれば満足”の人生を悟った訳です。

    



主(あるじ)の紹介

低料金を維持するために、贅沢をしないで、地味に・質素に生きています。主の健康法は、ここをクリック!

名前は?
那須 文章〜なす ふみあき “那須”は、百均でも、印鑑があります…(゚゚;)エエッ 子供の頃は、「ボケなす」と言われ、辛かったなぁ…(-_-#)

製造年・製造地は?
1963(昭和38)年8月28日 東京都大田区 なお、卯年の乙女座(*^_^*)

大きさは?
全長:1.7m 重量:0.059t±0.002t 純粋なO型 よくAB型に間違われる…(。_゜)?

視力は?
右1.2位 左1.0位 中学から25歳までは、眼鏡使用。眼鏡を落として、壊してしまい、買うお金が無かったので、努力したら、良くなって…

最後に出た学校は?
1986年・帝京医技専・柔道整復科卒 柔道整復師免許取得(国家資格)

この仕事をするきっかけ…
ここをクリック♪

座右の銘は?
「義を見てせざるは勇無きなり」…格好良〜い!(-_-#) やはり、「初心忘れるべからず」です。この業界は、天狗が多いですから…(/--)/

現在の身の上は?
独身♪(ただ、25年前にバツイチに)遺伝子上の子孫も、戸籍上の子孫もいません…(^o^;) 元妻は、豚肉&激辛好き&酒豪の猛獣で…(;゚゚)ウッ! 質素な生活に憧れる女性なんて、いないですからねぇ…(-_-#)

趣味は? 
太らないこと…(^o^;) 食事だけで6ヶ月・17kgの減量経験あり…(^o^)v 今の食事は、野菜中心。修行僧のような食事で、心身を極限状態にしています…。料理・日曜大工・パソコン等、物を考え・造ることが大好き。休みの日は、車で山へ…。贅沢は出来ないので、車も、乗れるまで乗ります。だから、今の愛車は15年目。ボディは、傷だらけのローラですが、中は綺麗です…(^o^;) ↓主の休日↓

性格は?
温厚…というか、マイペースで小心者のため、攻撃的になれないだけ…。 実物は、年齢より、若く見えるらしい…(;゚゚)ウッ! ただ、20代の頃より、額は、2cm後退…(>_<) お金を稼ぐよりも、最小限の労働で、節約生活が好み…(^o^;)

畜肉を食べない準菜食の粗食
肉を作るには…家畜の餌(穀物等)を作る→家畜に与える→家畜が二酸化炭素を吐きながら数年経過→家畜が肉になる。 菜食主義なら…穀物を作る→酸素を出しながら、数ヶ月で食品に。畜産農家に暗殺されそうです…(^o^;)

なぜ主(あるじ)にしているか?
世の中、「お金を払いますから、○○して下さい」「○○しますから、お金を下さい」の、物々交換だと思うのです。だから、肩書きは不要です。よく、お店で「俺は客だ!」という態度の人を見かけますが、「あなた何様?」と言いたくなります…(^o^;)

お酒は?
呑むと、とことん呑めるので、コントロールしています…(/--)/ ちなみに、饅頭やチョコも大好きです…(^o^;) 饅頭を肴に、日本酒。チョコを肴に、ウイスキーをロックで…最高です♪…(゚゚;)エエッ

力を抜いて生きましょう♪
一生に一度の人生、自分の思い通りに、自由に生きる…それでも、良いじゃないですか♪ 人は人、自分は自分です♪

ありがとう

人生、辛いことばかり…
自殺も考えた麦飯事件

特技は?
太ること…とにかく、すぐ太る(>_<;) 箸を両手に持って、ご飯を食べること…(^o^;) ボールも、左右両方で投げられます。

来世にしたい仕事は?
放ったらかし農業! 100%植物性車体&水で動く車の開発…(。_゜)?

今やりたいことは?
自給自足の生活。誰か、畑をくれないかなぁ…(^o^;)

長生き=長息≠長活き
自分に、もしものことがあったら、延命処置は、して欲しくないです。生まれた以上、早かれ遅かれ死ぬんです! 早く生まれ変わりたい♪

理屈は好きくないです…(-_-#)
このサイト内は、理論的な内容が多いですが、本当は、好きくないです。私生活では、寒い冗談と、ぼやきだけ…

    

☆治療家と低料金へのこだわり

40年以上前、私の父が、10mの電柱の上での作業中、誤って落下、重傷を負いました。落下した場所が、大型トラックの屋根だったため、それがクッションとなり、一命は取り留めたのです。

2年間、外科に通い、投薬だけの治療?を受けましたが、半身麻痺の症状は好転しませんでした。

当時勤務していた電設会社が倒産し、急遽独立して、仕事を請け負い始めた矢先だったため、労災保険等は未加入。幼児を抱え、父の世話もありましたから、外で働くことは出来ません。母の内職の収入と、僅かな蓄えのみの経済状態。1個2〜30銭程度の内職(部品の組み立て等)をしたところで、一家の生活を支えることすら、出来るはずも無く、貯金も底をつき、我が家の生活は、どん底に落ちました。

その状況を救ってくれたのが、栃木県で開業されていた盲目の元軍医でした。治療は、全身をボキボキ鳴らす荒療治。子供の私は、恐怖を感じました。その時の治療費が、2,000円。(今の物価で1万円以上でしょうか?)

私達は、東京に住んでいましたが、父は、親類や知人からお金を借り、東北自動車道も東北新幹線も無い時代、始発電車で、3時間以上かけて通いました。家族のために、必死だったのですね。その結果、1年で無事、社会復帰を果たしたのです。 後に、その治療費は2,500円に値上げされましたが、2,000円という額は、私の治療家を目指す原点としての額になったのです。

しかし、ハッピーエンドまでの極貧の生活は、子供にとって苦痛でした。雨漏りのするボロ家で、畳の代わりに段ボール。主食の米は、「徳用上米」という、鶏の餌にする米に麦。

痛みのために仕事が出来ない→収入が減る→生活が苦しい…

この経験が、良い治療≠高い料金に繋がりました。都心の一等地のテナントで開業したのであれば、1回10,000円以上にしたい仙骨動可法ですが、あの時の気持ちを忘れないために、あえて低料金に設定しているのです。

※補足私は、その荒療治を、治療家になる決意の原点にしているだけで、決して、信仰しているわけではありませんので、誤解なさいませんように。

  

☆自然治癒力の確信

二十数年前、私の左足裏に、異変が起きました。以前から、直径5mm程のほくろがあったのですが、それが、気が付くと、20mmの大きさになっていました。妻に指摘され、近くの皮膚科に行くと

「まず間違いなく、皮膚癌だね。紹介状を書くから、すぐ●大学病院に行って」と言われました。近所でも、評価の低い皮膚科だったので、誤診だろうと思い、後日、共済系の総合病院に行ったのです。

すると、「細胞を検査をしないと確定診断は、出来ませんが、九分九厘皮膚癌に間違いないですね。検査で切るついでに、全部切除しましょう。●月■日に手術の予約を入れて下さい」と即答。私が「切らないと、どうなりますか?」と質問すると、「この進行状況なら、2ヶ月後位には、足首から先を切断することになるでしょう」という、残酷な回答。

当時、結婚2年目、数百万円の負債のあった私は、妻とも相談した上で、負債の返済を優先。「切断するくらいなら、全身転移で死のう」という結論に達し、手術をキャンセル。自然治癒力にかけました。仙骨動可法は、まだ未完成の中、酒を減らし、粗食に変え、身体のバランス修正に力を入れました。勿論、薬やサプリメント等は、一粒も飲みませんでした。

二十年以上経過した現在、足の裏のほくろは消失、左足も元気です。健康診断でも異常なし。血液サラサラで、献血でも、誉められる状態です。

例え、皮膚癌の診断が誤診であったとしても、あれ程成長していたほくろが消失したのは、紛れもない事実です。それが自然治癒力でなければ、何なのでしょう。

  

☆人間の作った物は、人間に似る

一昔前のパソコンは、コマンド(プログラムを起動させるための文字)を打ち込んで、様々な作業していました。それが、マウスでクリックするだけで、作業が出来るようになり、最新型では、コンピューターが自動的に、(コンピューター自体の)修復までをも、行うようになっています。

それは、より人間に近くなっていることの証です。人間も、自然治癒力により、自動的に身体が、修復されるように出来ています。だから、医療の無い時代から今日まで、人類が地球上に存在出来ているのです。

ところが、未だに、「痛いところを揉めば治る」といったような常識が、根付いています。自然治癒力と称して、「a骨とb骨を矯正すると、この症状が良くなる」といった技法を伝授し、スクールビジネスを行っている業者もいます。

それは、より古いパソコンを使っていることと同じです。古いコンピューターを使っていると、「よく使ってますねぇ」と笑う人は多いですが、そのような人でも、身体のことに関しては、古典的な治療を、平気で愛好しているものです(^o^;)

 コンピューターは、ある程度まで、自分で自分を修復できる。それを作った人間の身体は、コンピューター以上に、自分で自分を修復出来るはずなのです。

  

☆麦飯事件

私の通っていた中学校は、給食が無く、弁当を持参していました。家計の苦しい我が家は、当然、鶏の餌にする徳用米に麦。母親は、それを隠すために、いつも、パート先の残り物の揚げ玉を載せ、醤油をかけていました。私にとっては、普通だったのですが、中学2年のある昼時、柔道部に入っていた同級生が

「あれ? 那須んち、麦飯食ってんだ。あはは!おーい、那須んち麦飯食ってるぜ!」と、大声で騒ぎ出しました。それは、今までに経験したことのない屈辱でした。そして、それは、更なる悲劇へと発展し…。

よりによって、その週の倫理社会の時間、担当の先生が、池田勇人元首相の話を始め、その名言「貧乏人は、麦飯を食え」と、話し出しました。すると、間髪入れず、その同級生が、「先生! 那須んち、麦飯食ってるんだよ!」と、大声で言ったのです。教室の総ての目が、私に集中したのは、言うまでもありません。

 担当の先生は、「麦飯は体に良いんだ。麦飯を食わないと、パワーが出ない。先生も、しばらく麦飯を食べていないから、食べなきゃいけないな」とフォローはしたものの、中学生に通用する訳がありません。

その日の夜、母に「麦飯のことで、バカにされちゃった」と話すと、「なるべく麦を入れないように、していたんだけどねぇ」と母。私は、「明日から、パンを買って食べるから、100円ちょうだい」 家計の苦しさもわかっていましたが、そうせざるを得ませんでした。

それ以来、私は、弁当を持っていくのを止め、昼を抜くか、パン1個で済ませるようになり、更に、同級生との交流を避けるようになりました。それでも耐えられたのは、今の道を目指していたからに、他なりません。

どんな高校でも良い。高校を出なければ、進学できない…治療家になれない…。いつも、その信念で、俯きながらの中学時代を送っていました。

そんな私ですが、今は、堂々と麦飯を、主食にしています。今は、米よりも、麦のほうが高い時代です。あの頃、マズイと思っていた麦飯ですが、今は、その香りが、美味しく感じます。その同級生は、当時でも太っていましたから、中年になった今は、生活習慣病、間違いない!(^o^;)